いのちのたび博物館 秋の特別展「最後の戦国武将 小倉藩主・小笠原忠真展」

いのちのたび博物館

見どころ

小笠原忠真

小笠原忠真画像
(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)

【略歴】

生没年月日:文禄5年(1596)2月28日~寛文7年(1667)10月18日
※今年は没後350年にあたる。

諱(実名):忠政(1606~1644)→忠真(1644~1667)
※本展覧会では煩雑さを避けるため、「忠真」で統一する。

領地:信濃国(長野県)松本(8万石)
→播磨国(兵庫県)明石(10万石)
→豊前国(福岡県)小倉(15万石)

第1章 華麗なる小笠原一族

小笠原氏は甲斐源氏の流れを汲み、忠真の祖先は信濃国の守護を務めた。忠真の父方の曽祖父は武田信玄と戦った小笠原長時、母方の曽祖父は徳川家康と織田信長である。母・福姫(峯高院)は、家康の長男信康と信長の長女徳姫の長女である。天正17年(1589)、忠真の父・小笠原秀政は豊臣秀吉の仲介で福姫を娶った。慶長11年(1606)、忠真は、将軍徳川秀忠から「忠」の字を与えられて元服した。
織田信長画像(模本・岩国美術館蔵 ※前期のみ)
織田信長画像
(模本・岩国美術館蔵 ※前期のみ)
川中島合戦図屏風(部分 山口県・岩国美術館蔵)
川中島合戦図屏風(部分 山口県・岩国美術館蔵)
豊臣秀吉画像(部分 山口県岩国市・吉川史料館蔵)
豊臣秀吉画像(部分 山口県岩国市・吉川史料館蔵)
東照公名護屋御出陣正勝公御供之図(福山市蔵・阿部家旧蔵 ※後期のみ)
東照公名護屋御出陣正勝公御供之図
(福山市蔵・阿部家旧蔵 ※後期のみ)
徳川家康画像(部分 国立歴史民俗博物館蔵 ※前期のみ)
徳川家康画像(部分 国立歴史民俗博物館蔵 ※前期のみ)

第2章 戦国最後の決戦・大坂の陣

慶長20年(1615)、大坂夏の陣で、信濃国(長野県)松本藩主だった父・小笠原秀政と兄・忠脩は戦死した。現役の大名と世継ぎの戦死は極めて珍しく、他には本多忠朝(本多忠勝の次男)くらいである。忠真も重傷を負いながら奮戦し、家康から「わが鬼孫なり」と絶賛された。信長・家康のひ孫というサラブレッドとはいえ、次男の忠真は跡継ぎではなかったが、父と兄の戦死、自身の戦功により松本8万石の大名となった。
小笠原秀政所用二枚胴具足(広沢寺蔵)
小笠原秀政所用二枚胴具足(広沢寺蔵)
小笠原秀政所用具足(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)
小笠原秀政所用具足
(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)
小笠原忠真所用具足(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)
小笠原忠真所用具足
(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)
小笠原忠脩所用具足(広寿山福聚寺蔵・当館寄託 ※前期のみ)
小笠原忠脩所用具足
(広寿山福聚寺蔵・当館寄託 ※前期のみ)
白糸威水牛兜(毛利勝永所用・高知県立高知城歴史博物館蔵)
白糸威水牛兜
(毛利勝永所用・高知県立高知城歴史博物館蔵)
刀(銘「兼常」・高知県立高知城歴史博物館蔵)
刀(銘「兼常」・高知県立高知城歴史博物館蔵)

第3章 忠真、小倉藩主となる

高橋鑑種、毛利勝信(森吉成)、細川忠興・忠利父子など、忠真以前の歴代小倉城主を紹介する。また、忠真は松本藩主となった後、兄・忠脩の未亡人・五姫(円照院、本多忠政の息女)を将軍秀忠の仲立ちで娶った。当初、忠真は忠脩の遺児・幸松丸(のちの小笠原長次)の名代であったというが、将軍家光の信任を得て、播磨国(兵庫県)明石10万石に加増移封され、さらに寛永9年(1632)、豊前国小倉15万石に国替となった。当時、豊前国小倉は九州の「咽喉」(いんこう・交通の要衝)と呼ばれ、そこを治める忠真のことを九州の諸大名は、「九州御目付」(「九州探題」)と一目置いたという。
本多忠政所用黒糸威二枚胴具足(本多家蔵)
本多忠政所用黒糸威二枚胴具足
(本多家蔵)
明石城絵図(明石市立文化博物館蔵)
明石城絵図(明石市立文化博物館蔵)
豊前国之図(永青文庫蔵)
豊前国之図(永青文庫蔵)

第4章
「九州御目付」・「九州探題」としての忠真

忠真が豊前国小倉15万石に国替になるまでは、九州はほぼ外様大名領で占められていた。だが、忠真は、甥の小笠原長次(豊前国中津8万石)、弟の小笠原忠知(豊後国木付4万石)、弟で能見松平家の養子となっていた松平重直(豊前国龍王3万7千石)を「旗下」として九州入りし、一族合わせて30万石規模の有力譜代大名領が九州の玄関口に誕生した。さらに、対馬藩の国書改ざん事件(柳川一件)、島原・天草一揆、長崎警備などでも、忠真は存在感を発揮した。また、忠真の甥で熊本藩主の細川光尚が病死した際には、幼少の長男六丸(のちの綱利)の後見役を務め、熊本藩細川家54万石の存続の危機を救った。
洛中洛外図屏風(歴博C本・国立歴史民俗博物館蔵 ※後期のみ)
洛中洛外図屏風
(歴博C本・国立歴史民俗博物館蔵 ※後期のみ)
島原陣図屏風(戦陣図※複製 朝倉市秋月博物館蔵 ※前期のみ)
島原陣図屏風
(戦陣図※複製 朝倉市秋月博物館蔵 ※前期のみ)
〔小笠原忠真侍従口宣案写〕(錦陵同窓会蔵)
〔小笠原忠真侍従口宣案写〕(錦陵同窓会蔵)
公事対決之御座配絵図(東京大学史料編纂所蔵 ※前期のみ)
公事対決之御座配絵図
(東京大学史料編纂所蔵 ※前期のみ)

第5章 忠真時代の小倉藩の政と文化

忠真時代の小倉藩政史料はほとんど残存しないが、忠真は72歳で亡くなるまで、様々な文化人と交流した。忠真以後も小笠原家当主=小倉藩主は「小笠原流弓馬術」を相伝したこと、宮本武蔵を客分として迎え、養子宮本伊織が小倉藩家老となって藩政に参画したこと、忠真が茶道や歌道に造詣が深かったこと、晩年に黄檗宗に帰依し、自身の菩提寺となる広寿山福聚寺を創建したことなどを紹介する。
宮本武蔵像(林羅山賛・兵庫県立歴史博物館蔵 ※後期のみ)
宮本武蔵像
(林羅山賛・兵庫県立歴史博物館蔵 ※後期のみ)
談林六世像賛(八代市立博物館蔵)
談林六世像賛(八代市立博物館蔵)
藕糸織(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)
藕糸織(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)
福聚寺全景図(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)
福聚寺全景図(広寿山福聚寺蔵・当館寄託)